SEED SHIPで日々さまざまな人々と交流していると、ふと浮かぶ疑問がある。それは、アートを創るために必要なものは何だろうかということだ。技術か、感性か、あるいは学位か。
私はしばしば主張する。アートに学位は必要ないと。なぜなら、アートは本質的に自由であるべきで、学位という型に収めることができない領域だからだ。しかし最近、別の疑問が私の頭を離れない。それは「学位は不要でも、場所は必要ではないか?」という問いだ。
SEED SHIPという場所を運営しながら実感することは、人が自由に創造性を発揮するためには、何らかの空間やコミュニティが欠かせないということだ。
空間が持つ力
私たちは空間に大きく影響される生き物だ。明るくオープンなカフェでは明るい会話が生まれ、落ち着いた図書館では静かな集中が生まれる。それと同じで、創造性が育まれる場所にも特定の「気」が存在する。
SEED SHIPは元々、屋上カフェのような場所として作られた。街の喧騒から少し離れ、空に浮かぶ小舟のような空間は、訪れる人たちに自由さや開放感をもたらしている。
訪れる人々は、ここで何気ない雑談を交わしたり、壁に絵を描いたり、即席の詩を書いたりする。つまり、ここには決まりきったルールが存在せず、どのようにでも自由に使える環境が整っている。
場所がコミュニティを生む
場所の存在はコミュニティを育む。インターネットがいくら発展しても、実際に顔を合わせ、同じ空気を共有することでしか生まれないものが確かにある。
実際、アーティスト同士がここSEED SHIPで偶然出会い、共同プロジェクトが生まれたことも何度もある。場所が存在することで、創造性だけでなく人と人との繋がりや化学反応が起きるのだ。
学位は個人の肩書きを与えるが、場所はそれを超えた可能性を生む。肩書きではなく、実際に「何をしているか」で評価される環境があるというのは、アートにおいて本質的なことだと思う。
制約と自由のバランス
SEED SHIPの運営を通じて学んだことの一つに、「適度な制約が逆に創造性を高める」ということがある。私たちは、制約を完全に排除すれば自由になると思いがちだが、実はある程度の枠組みや場の制限がある方が、新たな発想が生まれやすい。
例えば、SEED SHIPという特定の空間で何かを表現しようとするとき、そこにある種の制限が存在する。その空間のサイズや特性がアイデアを絞り込み、創造的な解決策や独自の表現方法を生むことがあるのだ。
逆に、完全に何でも自由にやってよいと言われると、かえって途方に暮れてしまうことも少なくない。だからこそ、SEED SHIPという具体的な場所があることで、参加者は心地よい制約の中で自由な発想を楽しむことができる。
学位ではなく、居場所を作ろう
アートを学ぶ場としての大学や学校が無意味だと言っているのではない。しかし、それがアーティストとしての絶対的な条件ではないことも事実だ。
重要なのは、学位の有無ではなく、自分が安心して表現できる「居場所」を見つけることではないだろうか。その居場所が物理的な空間であれ、心の中に作り出すものであれ、自分の創造性を自由に表現できる環境を確保することが大切なのだと思う。
私にとっては、それがSEED SHIPだ。そして私は、これからもそのような場を提供し続けたいと願っている。
あなたにとって、創造性を発揮するための場所とは何だろうか? 学位ではなく、居場所を探す旅を、ぜひ始めてみてほしい。