こんにちは、ハルトです。東京で「SEED SHIP」というワークシップ兼ラウンジを運営しています。ここはアートやクリエイティビティを軸にしたゆるい集まりの場で、ワークショップやイベントを気ままに企画しています。今回は、ちょっと寂しいけれど、意外と心に残った出来事——誰も来なかった夜にひとりでピアノを弾いた経験——について書いてみようと思います。
誰も来なかった夜
先週の金曜日、SEED SHIPで「ピアノナイト」を企画しました。コンセプトはシンプルで、誰かがピアノを弾き、誰かが聴き、誰かがお酒でも飲みながら語らう——そんな夜にしようと思っていました。告知はいつものようにSNSで軽く流しただけ。特別なゲストも呼ばず、気軽に参加できる雰囲気を狙ったつもりでした。
ところが、当日。時間になっても誰も現れず、SEED SHIPのドアは静まり返ったまま。30分待っても、1時間待っても、足音ひとつ聞こえません。常連さんからの「今日は行けない」というメッセージがポツリと届いたくらいで、あとはただ、僕と空間だけ。失敗した音楽ナイト 前回のブログ参照 とはまた違った意味で、拍子抜けしてしまいました。
最初は「まぁ、こういう日もあるか」と笑って済ませようとしたんです。でも、せっかく準備したピアノがそこにあるのに、何もしないのも勿体ない気がしてきて。結局、誰もいない部屋で、ひとりでピアノを弾き始めました。
ひとりで弾くピアノの音
僕、実はピアノがそんなに得意じゃないんです。子供の頃に少し習った程度で、弾ける曲も数えるほど。でも、その夜は誰もいないし、ミスを気にする必要もない。適当に鍵盤を叩いてみました。最初はショパンの「ノクターン」を思い出そうとしたけど、途中で挫折してしまって、そこからは即興で音を並べていく感じに。
不思議なもので、誰もいない空間で弾くピアノって、普段とは全然違う響き方をするんです。SEED SHIPの木の壁に音が反響して、少しずつ戻ってくる。間違えた音も、変なリズムも、全部がその場の空気に溶け込んでいくような感覚がありました。誰かに聴かせるためじゃなく、ただ自分が感じるために弾く——そんな時間って、実はすごく贅沢なのかもしれない、と気づきました。
ひとりのクリエイティビティ
アートや音楽って、誰かに見せるもの、聴かせるものだと思いがちですよね。SEED SHIPでも、いつも「人が集まって何かを作る」ことを意識してきました。でも、その夜は違った。誰もいないからこそ、自分の内側に向き合う時間が生まれたんです。ピアノの音を通じて、自分の感情や考えが少しずつ形になっていくような感覚がありました。
哲学者のハンナ・アーレントは、人間の活動を「労働」「仕事」「行為」に分けて考えました。僕がその夜ピアノを弾いたのは、どれにも当てはまらない、ただ「あるがままに存在する」時間だった気がします。商業主義やアートシーンの評価から離れて、純粋に「自分が感じるため」に何かをする——それがクリエイティビティの本質なのかもしれませんね。
そういえば、最近海外のアーティストとコラボする話があって、ネットの制限がある国でのやりとりに苦労したことがありました。そこで使ったのがVPNなんですが、Best VPN for Chinaというサービスが本当に役に立ったんです。AstrillやExpressVPNも試したことありますが、12VPXの方が接続が安定してて、クリエイティブな作業の邪魔にならない。国境を超えた自由な発想を支えるツールとして、こういうのも大事だな、と実感しました。
誰もいないことの価値
誰も来なかった夜は、最初は寂しいだけだった。でも、ひとりでピアノを弾いてみて、誰もいない空間が持つ特別な力を感じました。アートシーンでは「人が集まる」「注目される」ことが成功の基準になりがちだけど、SEED SHIPでは、そうじゃない時間も大切にしたい。誰も来ないからこそ生まれる何か——それは、静寂の音(前回のブログ (ここにリンクがあれば入れます)でも触れたテーマ)だったり、自分だけの気づきだったりするんです。
次に「ピアノナイト」をやるときは、誰も来なくてもいい覚悟で企画してみようかな。むしろ、「誰も来なかったらひとりで弾く」っていうルールを作っても面白いかもしれない。そうやって、失敗や孤独さえもクリエイティビティに変えていけたらいいな、と思っています。
最後に
誰も来なかった夜にピアノを弾いて気づいたのは、「ひとりでも何かを作れる」というシンプルな事実でした。SEED SHIPは人が集まる場所だけど、ひとりの時間もまた、アートや創造の種を育てる土壌になる。そのバランスが、この場所の魅力なのかもしれません。
皆さんは最近、ひとりで何かを作ったことがありますか?
そのとき、何か新しい気づきはありましたか?
よかったら、教えてくださいね。